おーーいMIHO^^渡部さんにからかわれてるぞ〜!(笑)
さて、LAから帰って来て、日本の時間・日本の仕事・出来事に、またもや追い立てられているKEIKOです。今の時期は新しいレッスン(https://www.keiko-ageha.com/lesson/closed)の準備もあって、なんだかんだ気が抜けませぬ。。。今の気合いが未来につながるのだもの。頑張りどころよ〜!!
で、そんな中息抜きに?昨日日曜は旦那の親友がやっているバンドを見に行ってきました^^
「バンドを見に、ライブハウスに行く」
う〜〜〜〜ん。今までの自分の中ではありえない遊び(?)方。ほっときゃぁ踊りっぱなしの私。悪く言うと踊り以外に目がなかなかいかない盲目族。。
一瞬でも、サルサ漬けの毎日から離れることはなかなか無いのだけれど、この日ばかりは空間そのものが知らない世界。すっごい新鮮だったなぁ〜〜。
小さな暗い箱で、鳴り響くのはギターにベースの爆音爆音。
つい先日まではLAのホテルでサルサの爆音聞いてましたが。。。種類はまるで別のもの。←そりゃそーだ。
私は日々コロを作って、踊って、何が自分の求める物なのか・何を伝えて行きたいのか 探しながら自己表現・主張していますが、作詞・作曲・Voも彼一人で手がけているのね、
ほぼ同い年の男性が 私とは違う 彼なりの手法を使って何かを出して行こうとする姿を見るのは、何だかとっても刺激になりました。
旦那が居なかったらこの人と出会う事も、こういう世界に足を踏み入れる事も、それを新鮮に受け止める事も無かったんだなぁと思う私。
私の盲目的な人生に「幅」をもたらすために、コノ人(旦那)は現れてくれたんだろうなぁ とつくづく思う。。。。
下記<LAC-3>は私の盲目度満載。ガキですよ、、本当に。
LAC-3日目 (彼女の残像)
この日はAGEHAの本番の日でした。
朝8時30には私の部屋に集合してもらい、そのまま会場入りしてリハーサル。
一通り場当たりをして、付き添ってくれていた旦那にビデオをお願いし、ココのフォーメーションが取り過ぎだの狭すぎだの云々。
この日、約1年と長くつき合って来たAGEHAのこの「Opium(阿片)」ナンバーともお別れの日ですから、当たり前だけどやぱり今までで最高のものを出したい。
ステージリハ後もフロアで様々な確認行って 本番の大成功に願いを託します。
今まで書いてきませんでしたが、実は今回のこの曲は自分にとって、とあるケリをつけたいがために選んだ曲でした。
長くLACに出演なさっている方や、ビデオをごらんの方は当然ご存知だと思うんですけれど、今回のAGEHAの曲は2003年のLACで Carribean Soul. そしてJai & Candyが観客席にうなり声を上げさせたGrupo Caribeの曲です。
2003年LAC。
私の初LAC参加の年。
衝撃的でした。
「この日があったからサルサを一生のものにしようと思った」そう言っても過言ではないです。
感動で何度も何度も泣き崩れた日、生まれて始めて、自分が知らぬ間にスタンディングオベーションをしていた日。そして 大きくて、分厚くて、とても登りきる事の出来ない壁を感じた日です。
もしかしたら、この日フランキーの存在を目の当たりにして打ちのめされた人も多いのでは?
ジェイソン・モリナのシャインに奇声を上げた人も多いのでは?
もちろん私もその内の一人だけれど、何がどう心を一杯にしたかって、同じ女性のCandyの存在でした。
忘れもしない、あのパワフルで 重たくて カーヴィーで 超セクシーな体が、死ぬ程羨ましくて悔しくて、自分がちっぽけで。
彼女の体・着る服・選んだ曲・雰囲気・全てが私を号泣させたんですね。
ナンダコリャ?? ダメダコリャ。 私は誰じゃ?お呼びでない??? と。
ビデオで見るとね〜〜〜。なんかそこまで「うぅっ!」と来ないのだけれど、あのでっかいコングレス会場の隅で見てたにも関わらず、目の前で踊られているような力強さを感じてしまってはぐうの音も出ません。あの日を思い出しては「ちーーーーきーーーーしょーーーーーーーーーーーー!!!!」となる私。今ではもう泣きこそしませんが、涙目にはなります。
私が今回AGEHAの曲を あの衝撃の曲にしようと思ったのは、
単に曲が好きだからじゃなくて
あまりにキャンディーの存在が自分にとって大きすぎて 意味なく本当にムカつくから(ここら辺私らしい)
「私にだって私なりの表現ができらぁ!!!!見てろこんにゃろ!!!!!」
と思ってわざと使った曲なのです。
あぁあ。キャンディーには何のいわれもないのに。彼女は私の存在すら知らないのにね。
完全なる一人逆ギレです(寂)。
だってトラウマ。
実はキャンディー、私と同い年。
あんな良い女が同い年(@⊇@)??
2003年に23だった私。ってことは、あの大舞台で唸らせた彼女も23。ありえん!!!!
血の気の多い私は、早く何とかしたい。
この気持ちが熱いうちに、「悔しい」と名前のついた情熱が冷めないうちに、自分なりの決着がつけたかった。
時が経つにつれ、その情熱も色あせるだろう事は解っていたし、「自分は自分」なんて言って何かよろしくない大人な壁を作ったりするんじゃなかろうか?って思ったりする。それも悪くないけれど、けど、もしも!数年後でも何でも、私が手を付けなかったあの曲を、誰か知らない人にコロ落とされてみ?そん時の自分の姿を想像してみ?
そりゃーーー惨めで泣きはらしてるでしょ。。。
それがすっばらしくて、全世界が認めるような内容だったらまだいいかもしれないけれど、もししょっぱかったらどうすんの?←とっっても失礼極まりない。
「てめー!いい加減なコロつくんじゃね〜〜〜!!!!!」と心で叫びつつ、挑戦しなかった自分をもっと攻める筈。
どんな内容であれ、誠意を尽くさずコロを考える人は居ないもの。その人はきっと、その人の答えをそこに出したのよ。それそのものは悪くないのにね。
何で立ち向かわなかったんだ?何で逃げたんだ?
たぶん相当自問自答。
私の性格から察するに、それ以来コロを作れなくなてしまうかも。踊れなくなってしまうかも。。
だからね、今の自分が持ってる必殺技全部使って、「挑戦する!」だけでもしたかった。
2003年、あの日のCarribean SoulやJai & Candyに太刀打ちできるなんてどう考えても、やっぱり出来無い事は解っていたのだけれど、でも自分の解釈をもって、あの日に決着を着けたかったのですよ。もう泣くような振り返り方はしたくない。
それをするには日本一の大舞台JSCに立つ事は必須だったし、LAにも行かなきゃ意味が無い。(けれど、LAに選ばれてから、この曲でLAの舞台に立つ事が死ぬ程怖くて、何度も曲を変更しようとしましたが。。。まぁそれは内緒です^^;)
自分の「今」と「チャレンジ」を多くの人に見てもらって、否定されるなり何なりして、それを受け止める事が現在の自分の栄養に繋がるんだと。
過去の素晴らしい作品に恋いこがれてるだけでは前に進めないでしょ。と思って選んだのです。
で、じゃぁチャレンジしましょうってなって、私が持っている必殺技って何ですか?って話になる。
・・・・・・なに(;⊇;)?
となる。←相当バカ。
ここで始めて自分に手持ちのカードが無い事に気がついて、しょうがないから作る。←これがまた良い経験に。
まずしたのは伸ばせるかもしれない自分の「芽」を探してみとこと。
そこで見つけたのは、、
強いて言えば空間構成能力・・・・か?
そして、メンバー一人一人に輝いてもらうよう しむける事。
意味なくコロを作るのではなくて、とりあえず目的一つ据えてコロを作る事。(今回の場合はOpium)
・・・・・・・必殺技少なっ!!!!(っていうかコログラファーに求められる当たり前の事じゃん!)
という事で、毎回ショボくれながら必死こいて作ったナンバーが今回のナンバーでした。
この曲に向き合って来たこの一年、自分でも「成長したなーーー」って思う所多々。チャレンジってめちゃくちゃ疲れるけど、逃げる事の方が大罪。罪悪感以外何も生まないものね。
名実共に「最後の本番」が来る直前、色んな事を思って泣きそうになってしまい。。。それがメンバーに若干飛び火したらしい。すまんの。。。よわっちい先生で(T⊇T
)。。
ここ数年の仲間がいる生活よりも、仲間が居ない生活の方がまだ長いため、仲間が居る事にまだ慣れていなかったりもする。実はどう受け止めていいのか解らなかったり、どうまとめていいのか解らなかったりも多々。先生なのにごめんなさい。でも事実(*⊇*)
さらに実は、私は私一人で戦ってると勝手に勘違いしてしまう節があるのだけれど、回り見てみなよ、こんなワガママで勝手極まりない女について来てくれて、仕事おいてLAまで一緒に来てくれた人達が居るじゃない!って気がつく。
別に私のために一緒に来てくれたわけではないことは百も承知だけど、みんなメンバーが好きで、このナンバーをLAの大舞台で踊りたいと思ってくれたから。来てくれたんだよね。
JSCに、LAにむけて頑張って来たこの一年で、信頼って言う言葉が自分の中に確実に芽生えて来て、私は変わったと思う。そもそもは血の気が多いだけだったのだけど、様々な様々な成長が出来たと思う。
残念ながら夜の部に選ばれたわけではなかったし、世界に爪痕を残す事が出来たわけでもナシ。どう考えても撃沈!なのだけれど、心に残ったのは、最後まで逃げ出さなかったっていう達成感。 そして、「メンバーと一緒に頑張る」幸せを知った事。
最後の本番は、失敗あれど、今までの中で一番綺麗だった。
それが答えなのです^^(みんなおつかれさま〜〜〜!私達頑張ったよね☆)
確実に、私は過去の自分よりも、今の自分の方が好きなのです。
これも、私が迷った時「やっぱりこの曲にしようよ!」と背中を押してくれ、最後まで頑張らせてくれたメンバーのお陰だと思っています。
2007年のLACは、4年前のそれとは、全く別の涙を流す事となったのでした。
あぁ〜〜あ。また長くなっちゃった。ごめんなさーーい(*⊇*)。
KEIKO